何もやろうとしない人と鏡の法則
定年を前に部署異動をして、新しい仕事を覚える気がないと吐露した上司がいる。
(ほかの人が席を立ったとき、私一人に言う。いつもそう。甚だ迷惑だ。)
そんな人の下で働くなど、どう気持ちを保てば良いというのだ。
幸い、ほかの人は真面目に仕事をしようとする人ばかりなので物事は前に進んでいく。その人の仕事はだんだん無くなっていく。
覚える気がない、やろうとしない。言われればやる。が、言われたこともやり方がわからないから固まる。キーボードを叩く音はするが一向に進んでいる気配はない。
「分からない、教えて欲しい」
これが言えないのだ。定年真近、教えてもらってまでやる情熱もなく、教えてもらったとしてもおそらく使いこなすところまではいかないのだろう。
カウントダウンと労力。
天秤にかけ、プライドよりも無駄なことをしないという方法を選んだ。周囲に眉をひそめられても。
だって今覚えても、退職したら使わないもんね。
逃げるが勝ちを選ぶ神経。太い。
ふと見るとデスクでしょっちゅう寝てる。よく今まで働いてこられたもんだ。
終身雇用ってすごい。黙ってガマンすればお給料がもらえる。
「窓際でもいい、金がもらえれば、」って心を決めれば。
何が楽しいんだろう。
転職は何度かしていて様々な人を見てきたが、ここまで自分が役立たずと思われても努力せずにいる人っていない。
自分の枠や力をどこかの年代で見切って、無駄なことはしなくなるんだな。夢を見る年齢じゃなくなるってことかな。現実的な対応?
ちょっと待って。
その人の側で働いて、その人の分まで作業してる人の気持ちはどうなる。
ただただ腹立たしいだけです。
何の決断もせず、できるだけ面倒なことはやりたくない。
決断を迫られるとはぐらかし論点をずらし逃げる。時々はもっともらしいことを言うんだけど、あくまでもっとも「らしい」ので、質問すると答えられない。
何の理念も倫理もない。理想や正義感もそこにはなく、ただただ周囲をイラつかせる。
自分の頭で考えて、腹で決めろ!
心の中でそう叫んでる。甘えてくんじゃない、ペイペイに決断を委ねるな。
かといって、決断を待つと、頓珍漢な答えを出されて混乱する。
ただ大人しくそこにいれば誰も意地悪しないはずとか、ハラスメントさえしなければ問題なくそこにいられるとか、確かにそういう考えもある。
でもそれらすべてが『受身』で周囲をイラつかせるんだ。
積極的に役に立とう、一員として貢献しようという姿勢がないということは、たとえ暴言がなく害がないように見えても、害なのだ。家族ではない、ここは職場なのだ。介護施設でも病院でもご近所さんでもないのだ。
役に立てるスキルや気概がないということが、すでにグループで仕事をする上でその人は邪魔な存在なのだ。
・・・・・・・・・。
ここまで書いて、これは自分なのではなかろうかと思う。あるいはかつてのどこかの場面での自分なのではないだろうか。その受身の姿勢が周囲をイラつかせたのではなかろうか。それによって排除しようとされたのではないか。意地悪ではなく、いて欲しくない、迷惑なのだという周囲の意思表示だったのではないか。
様々な記憶が、相手の目線で甦る。
できる事は
ひとつには、その集団から去ること。
ふたつめは、あと働ける期間が短くともやれることはやろうとしてみるか。
ひとつめの、去るということについては、考えを改めないと次の職場でも同じことが起こる。自分に見合った職場を選ぶことも大事。
ふたつめは、現実的だが、本人の気持ちが動かなければ変わらない。損得勘定で、労力を無駄と感じている以上は何もしないだろう。
動くことを周囲に促されるのを待つ大きな大人を世話するのは私の職務ではないと思う。
大事な場面で勝負せず逃げ続けてきた人の末路はひどい。
これも、自分に言い聞かせる。これがネガティブな呪いとなることに気をつけながら。