藁をもつかむ
相談について、わたし自身は「気持ちを聞いてもらってスッキリする」という考えがあまりない。
信用して話せば話すほど、相手と自分が違うことがわかって悲しくなることが多かったからだ。さらけ出して、裸を見せて「あなた変よ」という反応に著しく傷つく。
おそらく過度に期待していたのだと思う。他人を信用するときはそこに依存心がないか確認したほうがいい。
そして。皮肉にも
もがいているときというのは自分のことしか見ていない。見えない。他者を見る余裕がない。
わずかでもいいから自分以外の誰かを思う時間を作れば、その間は思考のグルグルからは解放されるのだが。
なかなかどうして、当事者はそれに気がつかない。
自分を見つめすぎて、話を聞いてくれそうな人にしがみつくが、それが藁だと気がついて絶望する。
結局、自滅するんだよね。どうしたらいいのかなあ。嘘つくのいやだしなあ。装うのもいやだしなあ。自己との乖離があると疲れるし。でもむき出しだと疲弊するし。オール後ろ向き。キャラクター設定とかやりたくないし。自分は自分だしなあ。
— Michi Kurumi (@MICHIRU_A7) 2018年9月20日
でも、好きにすれば良いって先生言ってたな。思い出した。やりたいようにやればいいのか。
— Michi Kurumi (@MICHIRU_A7) 2018年9月20日
やりたいことなんだっけ。目標がかすんで、これ続けていても意味ないしと思ったらだめなんだよね。じゃあやめろ!みたいな繰り返しです。
本意でないならすぐやめろ。
もし、同じことをいう人がいたら何て返すだろうな。
— Michi Kurumi (@MICHIRU_A7) 2018年9月20日
あなた、どうしたいの?って。
だぶん、聞いて欲しいだけなんだよね。なにも判断しないで、ただ話を聞いて欲しい。心ゆくまで、時間の許すかぎり、聞いて欲しい。分かって欲しい。
助けて欲しいんだと思う。
普通の人はその重さに逃げていく。
子どもの頃、誰にも理解されず受け入れてもらった経験がない場合、心の飢餓はデフォルトなので、常に求めている。足りない、欠けている、こんな自分はダメなんだ、そう思ってしまう。疲れているときは顕著。
— Michi Kurumi (@MICHIRU_A7) 2018年9月20日
周囲は冷静にその様子を観察していて、状況が収まるまで触らない。または端から関わらない。
求めれば求めるほど、自分の感情に正直にそれを抑圧せず出すほどに、異質物としてカテゴライズされ、より社会的に孤立していく。社会に受け入れられるためには、自分の飢えた感情を抑えて満たされた風を装い、穏やかに関わる。距離をとりながら。そうしてあと何十年と生きていくの?苦しいね。
— Michi Kurumi (@MICHIRU_A7) 2018年9月20日
こんなことを考え悩みながら年を重ねるのであろう。
自分への関心が薄れ、人とのかかわりの中で生きて視界が広がっていれば、一人相撲じゃなくなるんだろうな。
でもきっとこんな風に不器用に生きていく。これからも。