大概のことは考えすぎ
どうしても悪く悪く考えてしまう時があって
一旦その流れに入ってしまうとどこまでも流されいずれ急流に飲まれてしまう
どこかで切り替えなくては
不安は倍々に増えていく
際限なく
でも、それは違う!ときっぱりと切り替える
そんなこと求めていない望んでいないんだから
悪く考えすぎると心が凝り固まって
ナチュラルに振舞えない
ギクシャクと自分でもしっくりこない、むしろ居心地の悪い行動をとってしまう
そしてよくない結果を自ら強い力で引き寄せてしまう
それって本意ではないよね
違うよね、怖いんだよね、だから備えてしまう
出かけるか、音楽を変える、身の回りを整頓してみるか、シャワーに入る
小さな行動をきっかけに気分を変えて思考を変えよう。
状況はそんなに悪くならないし、素直に過ごしてみよう。
不安は雨散霧消するか、不安の原因が姿を現し、意外と小さいことが分かるはず。
同じ時間が流れている
どんな風に過ごすか自分で選べばいいんだから
それが本当の自分の望みなのか、それとも相手の望みなのか。
5月、令和に入って自分の中にあった支配されてる感が抜けたのがいい。遠くで叫んでるなぁ、ぐらいの他人事感。楽になった。自分のひらめきに従うといい。考え事をやめるといい。
— MichiKurumi (@michiru_a7) 2019年5月9日
最近、ほんとに楽になって、過積載だったみたい。できないことまでやろうとして
誰かのためになるからとか、誰かの役に立つならとか、そればかりそんなこと基準で行動を決めていた。
でも相手はそこまで求めてるかな?または、知ってて使ってるんじゃないかな?
そんな風に考える時点で「やりたくてやてるわけじゃない」ということが分かる。
犠牲者の立場に自ら進んで立つ必要はないってことを何度も繰り返し自分に言う。また忘れるから、頻繁に言う。自動反応でやってしまうから、「それって癖だよね」と突っ込むことにする。
ここ3年程、ベランダガーデニングはお休みしていた。厳密にはそちらに気持ちが向かなかった。余裕がなく、社会と渡り合うことに精いっぱいで、好きで長年育てていた植物たちは行き届かなくなったためひとつづつ枯れて行った。枯れて、ドライになって、土さえも固まって植木鉢は軽くなった。
— MichiKurumi (@michiru_a7) 2019年5月9日
あんなに好きで窓からはいつもグリーンが見えていたのに、いつの間にかコンクリートだけが見えるベランダになっていた。こころに潤いがなかった。癒しより、そのころの私には戦いの現場が必要だった。領土拡大のため。結果、拡大できたのか、遠回りしてただ遊んだだけなのか、お金をつぎ込んだだけか、
— MichiKurumi (@michiru_a7) 2019年5月9日
自分を理解できるようになったのか、周囲へのものの見方が変わったのか、周囲の私を見る目が変わったのか。これら全部当てはまる。一番感じているのは、自立したけれど、孤独も深まったということ。もう以前の自分には戻れない。人のこころを理解したい、なぜそれを選んでしまうのか、その行動の
— MichiKurumi (@michiru_a7) 2019年5月9日
後ろにある心を知りたい。何が本人にとって譲れないところで、譲れないからこそ苦しくて、どうすれば少しでもそれから解放されるのか。どうしたらいいんだろうって。でも相談を受けてもできることって、結局本人が行動するしかないしどうもできなくてはじめはもどかしかった。今は、分けて考えてる。
— MichiKurumi (@michiru_a7) 2019年5月9日
それは本人が決めることで、動くのは本人だってこと。強制的にやらせることはできない。大事なのは自分で自分を癒していくこと。解決していくこと。その方向へ進むこと。
— MichiKurumi (@michiru_a7) 2019年5月9日
自分のことばかり考えていては厳しい
今日、退職を願い出た。
一つ分かったのは、
— MichiKurumi (@michiru_a7) 2019年2月4日
不機嫌や無言はモラハラでもあるということ。
自分の不機嫌が誰かのストレスになっている。
自分は自分、私はこう思う、など、強すぎる自己主張も、それをする人間自体が周囲にとってモラルハラスメントになるということ。
ハラスメント=嫌がらせ
人に嫌がられるようなことをしない、ということが自分がハラスメントをする人間にならないためには必要で、その意識が全く欠けていた自分は、めっちゃ悪。
— MichiKurumi (@michiru_a7) 2019年2月4日
なぜなら、ひとりで生きているのではないから。周囲の人と一緒に生きているから。家族、ご近所、地域、職場。日常、直接会う人との関係をいい加減にして、それより広い世界の人と関わろうなんて、思い上がっていた。
— MichiKurumi (@michiru_a7) 2019年2月4日
自分が良ければそれでいいなんて、違うよね。なんで忘れてたんだろう。
— MichiKurumi (@michiru_a7) 2019年2月4日
いつから?
多分5年ぐらいおかしかった。もう上昇志向とかやめよう。
この事態を招いたのは自分だし、周囲に対しての配慮や思いやりに全く欠けていたからであり、随分環境からお仕置きを受けた。痛い目にあった。自分で呼び込んでいるんですね、誰かも言っていた。
何年前に言われただろう。
ずっと、変わっていないんだ。成長していないんだ。そのままでは社会に受け入れられない。
感情を閉じ込めた結果
アンドロイド?
同僚から言われた。
傷つくのが怖くて、いつも心を必死で守って、少しのことではビクともしないように幾重にも鎧をかぶせた心。
小さな温かさにも反応できなかった。目の前で起こっている温かなやりとりを、どこか遠くで除夜の鐘が鳴っているかのように扱ってしまった。
むき出しでは風邪をひく。容易に傷つく。でも、優しさにも敏感でいられるのだった。それを忘れていた。
感情に振り回されるのがいやで。感情を立て直すことに日常の多くの時間を費やすのがいやで。
閉じこもること、ひとりになることは逆効果
『傷ついたり傷つけたりしたくない。人から離れよう。』
この選択は一見楽だ。非常に安易に選んでしまいがちだが、これは結局自分の首を絞めていくことになる。ジワジワと、陣地が狭まり、行き詰まる。
人は人から離れては生きられない。
いや、人から離れても健全でいられるほどの深い信頼関係を築いている人がいるならば、人里離れたところに住んでいてもあるいは大丈夫なのかもしれない。
でも、そうでない場合。たとえ気まずくても簡単な会話ぐらいはしよう。挨拶でもいい。
不利な立場に立たされているとき、どうしてもその集団から離れられない理由があるなら(生活のため)、とにかくそこにいよう。自分から背を向けると逆効果の場合が多い。からかいが、いじめや孤立にエスカレートすることを防ぐために、そこにいよう。
ただ、もし心が壊れそうなほどの理不尽ないじめにあったときは、とっとと逃げていい。
普通の人がするいじめが一番怖いのだ。いじめている自覚がないか、ストレスのはけ口ぐらいにしか思っていない。迷惑をこうむっているのは自分の方だ、という主張なのだ。
「だってみんなそう思っているもの」「だってあの人皆に嫌われているから」
これは普通の人が口にすること。
学校はすべてじゃない
10代のころ、学校は世界のすべてだ。そこでうまく友達とやって行けなければ、きっと社会に出てもダメ人間として、どんな時も友達もできずに生きて行かなくちゃならないんじゃないか。人生詰んだ。そんな風に思うかもしれない。
苦しいよね。
でも、学校はすべてじゃない。世の中に出ればいろんな人がいて、似たような境遇の人も、思いを分かち合える人もいる。もっと悔しい思いもするかもしれないが、味わったことのない喜びに触れることもきっとある。一番大切なのは、自分自身を食べさせるために働くこと。
生きて行かなくてはならないから。
傷つかずに生きて行くことなどできない
自分の心だけに意識を向けすぎていないか。
あなたの目の前のひとの、
明るくふるまっている素敵な人の、その奥にある深い悩みに思いをはせることはできているか。
「わたし」は「わたし」の心に向き合いすぎて、結局、目の前の誰かのことに心を配れていない。
自分が傷つくのが怖くて閉じた結果、目の前の人を傷つけ、相手から「閉じられ」て、それに傷ついていることに気が付いてる?
ループになってる。どこかでその悪循環に立ち向かわなくちゃね。
自分だけが傷ついているわけじゃないことを頭の片隅にでも置いておくと、きっともっと周囲に優しくなれて、アンドロイド?などと言われないだろう。
互いが温かな思いで繋がれますように。
仕事は仕事、遊びじゃないよ。
私ができることは、淡々と仕事をすること。
自己主張ではなく、積極的な受容。主体的に相手のお役に立とうとすること。
仕事、行きたくない? 遊びに行くわけじゃないのでね、そんなものですよ。忘れないようにね。
まずは早めに行きましょう。バタバタせずに。朝を完璧に過ごしたら、ほかも思う通りに進めたくなるが、一歩外へ出たら過剰な期待はせず、何もなければ万々歳、面白ければその楽しさをマイナスの日に残しておいて、辛い日は楽しかった日の残しておいたエネルギーを補充しておく。そうして平らに均して心の平安を保って生きて行く。
「わたし」をやみくもに押し込むのはやめる。
自立とわがままは違うので。
自分をしっかりと持ちながら、人のお役に立つよう関わろうとする。あるいは一歩引く、という自己主張。
とことん控えてみよう。自分を律してみよう。
自律。
あんまり多くを自分に課すのは欲張りだし、自分に対しての過剰な期待はエゴや自信過剰(わたしならできるはず、もっとできるはずと思い込む)なので、
確実にできるであろうことから。
生活の軸、大切。
ゆっくり新聞を読みたい。お風呂にゆっくりつかろう。
個人的な職場との関係、傾向と対策
自由というのは心もとない。
自由は嬉しいけど空(くう)でもある。
狭い日常、組織やルールの中で見つける自由な時間や隙間が至福なのかもしれない。
雲間からさす光のように。
自由を与えられたら自由を獲得しようという意欲もまた失われる。だから、脱出したいと思う柵があることが大前提なんだと思う。
ブラック企業に勤めていたとき、絶対脱出してやると思いながら働いていて、やめたときは本当に解放された。自由を手にした!と思った。戻りたいとは思わないけれど、また次の仕事を探す。たとえホワイトだとしても枠組みに再び入ることになる。
懲りずに、生きて食べるために働く。
あくまで私の場合だが、どこの職場もはじめはクルクルと目まぐるしく情報を扱い、軽い空気で働けて自分にとって大変勉強になるのだが、慣れてきてからが厄介なのだ。
依存されたり圧かけられたり、理屈が通らなくなるので、結局は断ち切ることになってしまうのだな。
そこまで請け負えないと思う。
それが分かるから、馴染まない、慣れないと決めているが、距離を縮めないことに不満を持つ人も少なくない。
だから、短期間で異動・転職するか、時々顔を出すようないつも新鮮な距離を保てる仕事を求めている。
その方がお互いに健全な関係でいられる。冷たいと思う人もいるのだろうが。
結局は自分が呼び込んでいるのだろう。
手ごたえのない軽い仕事では面白くなく、がっぷり組んで仕事し始めると周囲もそれならばと任せてくるのだろう。
オマケ扱いでは満足しないくせに任せると重いと拒否するなど、扱いにくい人間を採用したと思うだろうな、、
いつもお世話になっています。
ブラック企業に勤めていたとき、絶対脱出してやると思いながら働いていて、やめたときは本当に解放された。自由を手にした!と思った。戻りたいとは思わないけれど、また次の仕事を探す。たとえホワイトだとしても枠組みに再び入ることになる。懲りずに、生きて食べるために働く。
— MichiKurumi (@michiru_a7) 2018年12月16日
それが分かるから、馴染まない、慣れないと決めているが、距離を縮めないことに不満を持つ人も少なくない。だから、短期間で異動・転職するか、時々顔を出すようないつも新鮮な距離を保てる仕事を求めている。その方がお互いに健全な関係でいられる。冷たいと思う人もいるのだろうが。
— MichiKurumi (@michiru_a7) 2018年12月16日
結局は自分が呼び込んでいるのだろう。手ごたえのない軽い仕事では面白くなく、がっぷり組んで仕事し始めると周囲もそれならばと任せてくるのだろう。オマケ扱いでは満足しないくせに任せると重いと拒否するなど、扱いにくい人間を採用したと思うだろうな、いつもお世話になっています。
— MichiKurumi (@michiru_a7) 2018年12月16日