Michi Kurumi ∞ 思いを自由に。

キレイなものも毒もいっしょにここに。日々ひらめいたこと等々。わたしはわたし。自分サイズで生きていく。

記憶の蘇り

2015年
Nさんが退職したとき

Oさんを追い詰めすぎて社長が支配人に「Nを切れ」と指示。
その日は私と支配人、Nさんの三人のシフトの日。
支配人はNさんに「Nさん、今月いっぱいで..」と言ったところ
「え?!おれクビですか?なんでですか?どうして?社長に話しさせてください。
なんでキチッと仕事して真面目にやってきたおれがクビなんですか?酷いよ..じゃあこれ持って行きます!」
(と会社のPCを持ち出そうとする)
「それは違うでしょう!あんた!」
支配人の怒鳴り声を初めて聞く。Nさんはうろたえて
「え...」
「あんたやり過ぎたんだよ」

52歳で最後の就職先と信じ、唯一の社員でもあるNさんは
自分には権力があると勘違いし、怠け者でみんなに不満を持たれていたトラブルメーカーのOさんを
追い出せると思っていた。
でもそうではなかった。
追い出されたのは自分だった。
みんなを威圧し力で無理矢理言うことを聞かせていたNさんは悪人ではなく
むしろ純粋で真面目で、とても不器用だった。
過剰なお節介をすることも突き放すようなこともなかったが
キレたら酷かった。
キレられた相手の中には憎悪が生まれる。
誰も反抗も反対もしなくなったが、ただ真面目であると言うことは免罪符にはならなかった。
心の底では良いようには思われなかった。
誰しもが「やりすぎ」と思っていた。

そこで解雇宣告がなされた。
仕事を教わってきた自分にとって、
その現場に居合わせたことは心地の良いモノではなかったが、ここではこんな風にして人を簡単に切ってきたのだと思ったし、自分がいつそのターゲットになるかは分からないと背筋の凍る思いを抱いた。
それから真面目に働いた。真面目に。正しく。
でも、これは免罪符にはならないのだった、ということをいまここに記しながら気がつく。

心象なのだ。

どんな仕事も、得意不得意、ではない。
標準的に安定して同じようなレベルの仕事をこなし、主義主張も過ぎることなく調和的に働ける人が必要とされるのだ。

Nさんは四国に高齢のお父さんを一人残しこちらで生活していた
どうするのだろう、どうしているのだろうか。
きっと地元に帰っても仕事はほぼないだろう。余計なお世話で下品な詮索であるが。
ヒトの人生というのは、辛いヒトにはずっと辛い仕打ちをする。
悪循環を生きる、そんな理不尽なモノなのだ。

あの職場はまともなヒトは誰一人いない、残っていない。

反抗せず仕事はこなす、お金のために、そんなヒトだけが残っている。
他の人はみんな辞めていった。クビになっても仕方がない人と、見切りを付けてとっとと辞めた人。
いま支配人を務めているのは、社長の完全なるイエスマンだけ。操り人形であれば良いのだ。
スタッフがあきれる人物に白羽の矢が立つ。そして、そいつも辞めていく。
ヒトをヒト扱いしていない、そんな会社って潰れてしまうんじゃなかろうか。そんな風に思うが
会計士を雇い、労務・税務関係を整理し違法性がないようにはしているのだろう。

ある人に言われた「経営者は冷徹ですよ。」の言葉が耳によみがえる。
感情をはさまず冷静に判断すること。
冷酷とは違うが、極めてドライだ。
こんな人に情で訴えても取り合ってはもらえないだろう。
先に辞めていった者もそのときそのとき残った者も、残酷な仕打ちをしているのだ、なぜなら庇ったり阻止したりしないから。
回り回ってみんなを蝕む。
でも、世の中ってそんなもんだ。
綺麗なもんじゃないから、時々綺麗なものに出会うといたく感動する。
暗雲の隙間に差し込む陽光のように。

 

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