ひらめきに従う
「節目」
インプットばかりじゃ頭が働かなくなる。
思い返せばTwitterを始めてから、情報や外とのつながりをそこでとることが多くなった。
片時も携帯を手放せず、いつもTLを追いかけていた。
いつのまにか自分の頭で考えることがめっきり減っていることに気づいた。
物事を一時的に自分の頭にとどめて置くことができなくなっていた。
作業テーブルが小さくなっていたのだ。
過度な受動は創造性を減らしてしまう。
この1年を振り返ってみると
周りだけ見てザワついてしまっていたようだ。
情報だけがグルグルと回転し、見事にはまって抜け出せない。
どこへ飛び出すのか分からないエネルギーを持て余した時間が続き、内部で圧が高まった。
ところが
10月に入った頃からウソのように惑うことが減ってきた。
頭がいっぱいいっぱいになることなく、余裕を持って考えられる。
人を気にして、様子を伺い過ぎた事で動けなかったのが、自分の考えで判断し進む自分に戻ってきた。
私ってどうしたらいいの?と聞くとうまくいっていない。
振り返ればこの10年そうだ。
過去、悩んだり疲れたときはひとりきりの時間を取ることで落ち着きを取り戻し、回復した。
たくさんの人にアドバイスを聞くほど混乱したし、どれを優先していいのか自分はどうしたいのか分からなくなる。
何かを勉強するとき、習得するとき、計画したり行動したりするとき。
自分を頼りにしたほうがうまくいった。
自分のひらめきに従っていたからだ。
答えは自分の中にある。
本、ネット、人。
外に助けを求め、もがけばもがくほど沼から抜け出せない。
でも、もがいた時間も頼った時間も必要なものだった。
気づくために。
気づくために必要だったんだ。
後ろへ下がって受身でいたからこそのしんどさ。
自分のありたい姿を思い出すために必要だった。
周囲に助けを求めることで認めたくない自分の弱さを突きつけられたし、等身に向き合わざるを得なかった。
そんな私に、周囲はアドバイスをたくさんくれた。
きっとそこを整理できなかったのは自立が足りなかったから。
今度はいただいた言葉を1つずつ見つめて、自分なりの解釈で吸収しなおしたい。
自分の内にある哲学を築く時間は続く。
そして理想だけではなく実際に役立つ心のあり方も模索していく。
ここからは深く精査していくんだと思う。
季節の変化を感じるとき、それが急激であればあるほど肌で感じやすい。
この落差は痛快でもある。
Michi Kurumi ∞