Michi Kurumi ∞ 思いを自由に。

キレイなものも毒もいっしょにここに。日々ひらめいたこと等々。わたしはわたし。自分サイズで生きていく。

さかなクンがおっしゃっていたこと

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いじめについて。

水槽で他の魚たちからいじめられていた1匹の魚を保護のために別の水槽へ移した。

すると、いじめられっこのいなくなった水槽内で、次なるいじめターゲットができてしまった、というもの。

 

私は他のブログで書けないわりとネガティブなことをここでは書いているし、毒も吐いている。

過去の記事の中で、職場の中で異質危険物と判断された人や壊れた人について書いたことがある。集団はゆっくりと排除しようとする。不快を感じる人を。それまでは極めて良好な雰囲気であったのに、一度排除や不快をむき出しにした集団は、原因を取り除いてもその空気はまだ覚えている。

排除された人は別の場所に移動になったが、そこは忙しい部署で誰も雑談などの相手をできなかったため休職した。歓迎されていない空気というのはキツイ。

一方、その人がいなくなった部署は平和なのに、簡単に変な空気が流れるようになった。なんだろうこの違和感は。

不平不満で繋がった集団は、一種の恐怖を与える。粗相をすれば次は自分の番なのではないかと不安になる。精神衛生がすこぶる悪い。

 

自分を守る方法はそれぞれに違う。

ハッキリと主張することで自分の領域を守るタイプ。これは敵を見つけてそれ以外の人たちと仲間を形成する人でもある。次に頑として動かないタイプ。周囲がどう揺れようともスタンスを変えない人。そのことで揺るぎない人としてそこにいる。そして極めて柔軟な人。きつく言えば日和見の人。またあえて集団に入らない人もいる。中立でいる人。これは方法によっては次のターゲットになりやすいので危険でもある。

喧々諤々が平気な人はいいが、波風やことが荒立つのをストレスに思う人もいる。強い人は「それでは世の中と渡り合っていけない」と言うだろう。でもその人たちの主張の影で折れたりあわせてくれた人がいるのを彼らは計算に入れない。「勝ち取った」と思うのみ。

誰かが言っていた。世の中は理不尽なものなんだと。

 

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