異質危険物と集団から判断されたら
前回のブログで、壊れた人と仕事していると書いた。
その後、私自身の中に変化が起き、それによって状況も変わったので書き留めておこうと思う。
ひとりの、場が凍るようなことを笑って言い放つ人に対して。
みんなはその人に「パワハラ・モラハラ」といって労働基準監督署に通報されないよう細心の注意を払って接するようになっていた。
というのも仮にAさんとしよう。Aさんは、なにかあったらすぐに労基に通報する、懲戒解雇を狙う、法律を知らないなんて馬鹿だ、と日々職場でみんなを脅していたのだ。本人に脅している感覚はないのだろう。
ただ自分のことを大切にして欲しいだけなのかもしれない。でも、結果それって叶わない。叶わないんですよそのやり方では。
みんな自分がかわいい。
集団は本人に分からないように裏でその人をゆっくりと排除していく。
落ち度を見つけ、台詞に耳を傾け、行動に目を配り始める。
もともとはその人がそれをしていたのだ。
配属されてきて、ちょっとでも雑談をしている人がいると、あいつらがうるさいせいで仕事が捗らないと別の部屋にいる上司に報告。
今度は沈黙で息苦しいとも報告。
対応が邪険だと報告。
次第に彼の思うとおりに環境は整っていく。
雑談は最小限で小声で、でも彼に話しかけられれば(本人は退屈だ、眠いといって周囲に話しかけてくる)明るく受け答えし、大切に扱う。
表面上はである。
人は怖い。
極めていい雰囲気の部署であったにもかかわらず、その人が来てからというもの、異質危険物をどうにか排除しようと、ネガティブな空気が蔓延している。
でもそれはその人が持ってきた空気なのだ。おそらく話が通じない人だ。こちらが理解を示しても、そうとは受け取らないだろう。
そのことがわかる人は早々と本音の対話をやめ、自分の気持ちが乱されないようしっかりと線引きをしている。
私もAさんに対して寒気にも似た嫌悪感を感じていた。周囲もそうだった。
でも、大勢 対 一になったとき私の中になんともいえない哀れみのようなものが浮かんできて心の中はごちゃ混ぜになった。
Aさんのことを通して、私はまたしても周囲の人に過剰な期待をしていたことに気がついた。
みんな人間なんだ。キレイな思いも黒い感情もどっちもある。わたしはその黒いほうを許していないのだ。
そしてそれを見たとき、勝手に傷つく。
Aさんを解雇する決定的な証拠として、私が体調を崩したことが当てられた。精神的に参って会社を休んだという理由で。
列記とした職場環境の悪化の原因がAさんだというのだ。
とくに私を心配しているのではない。口実を全員が探していた。そのきっかけにしたかったんだ。なんとも後味が悪い。
孤立した人を集団が排除していく。
自分が排除される側になることを想像したとき心が縮む。集団には逆らえず、人間関係を保つことはセーフティーネットなのだと痛感する。仕事ができるできない以上に、優先される。
集団は恐ろしい。集団に忠誠を誓っている間は守られるが、主導権を誰が握るかによって旗色などすぐに変わってしまう。
そんなことから逃れて生きていきたい。でないとへとへとになる。
でも漱石も言ってる。どこへ行っても同じだと。今いる場所で機嫌よく折り合いをつけて生きていくより他はない。
でも、病む前には立ち去ろう。