Michi Kurumi ∞ 思いを自由に。

キレイなものも毒もいっしょにここに。日々ひらめいたこと等々。わたしはわたし。自分サイズで生きていく。

過度の承認欲求について

 

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行動動機のひとつとして、承認欲求がある。

自分が純粋に楽しくてやりたいというだけではなく、その先を求める。

自分が楽しいと思うことをしている、そんな自分を賞賛して欲しい。

すごいね、いいねって。

そのスパイラルに入ると、もうどうしようもなく苦しくなる。

いいね、をしてくれる相手への強い依存だ。

これはどこかの段階で断ち切らねばならない。自分の人生を放棄することになるからだ。

人の評価、基準など人によって違う。いいねしてくれた人の基準が自分の価値観とずれていても合わせてしまい、どんどん自分とかけ離れていってしまう。

藁をも掴む。掴むのは藁だ。おぼれるよ。自分で泳がなくちゃ。

泳ぐ自信は最初はないかもしれないけど、泳ぐ気があれば充分なのだと思う。自分の泳げるところまで自分の泳法で行けばいいのだ。

問題は、自分で泳ぐ気のない人。なにかにつかまって向こう岸までたどり着こうとする、自分の人生の舵取りを任せてしまう。でもそれは藁なんだ。

沈む。自力で泳ごう。泳げるところまででいいから。途中の小島で休んでいいから。

たどり着きたい陸地がないのに飛び込むな。引き返すのも賢明。賢明ですよ。逃げじゃないし負けじゃない。負けかもしれないけど生き延びられる。

生まれてきたんだから、命を守ることが大切。冒険するのはかまわないけど、冒険につれてってもらうとかツアーガイドを頼むとか、縋るとかじゃなくて。

自分でやってみてできることをする。

じゃないと、縋られる側は藁のつもりはなくてもその人の前では藁に変身する。するりと手の平から抜けていくかもしれない。

藁だって沈みたくないから。

自分で自分を認められればいいんだ。その自分が周囲と関われば、きっと誰かの役に立てるし良好な関係が築ける。

まずは自立。自立してみよう。自己承認を。

どれだけ他人の評価に渇望していても。

ちょっと切なくなるけど。きっぱりと。

 

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