Michi Kurumi ∞ 思いを自由に。

キレイなものも毒もいっしょにここに。日々ひらめいたこと等々。わたしはわたし。自分サイズで生きていく。

暑すぎやしませんか

 

f:id:michiru17:20180722100111j:plain

 

取りとめもなく

本人の自覚はまったくないところで、

無力感に苛まれていると、愚痴・悪口・文句が増えます。そして改善しようとしません。動かない。行動しない。批判するだけ。

 

これ、マズイですよね。

人間、社会人として働いていてある年代になると自分の実力みたいなものが分かってきて、自分ってここまでなんだなと空を仰ぐときがあります。

自分の可能性に胸膨らましキラキラしているのは若いとき。自分にがっかりし(高すぎる自分への期待)、誰かに馬鹿にされ(認められなければ無意味)、それでもその椅子にしがみついて働く(奥歯を噛み締めガマンする)。生活のため、生きてご飯を食べるため、養うためです(これは当然のこと)。

身の程を知る、諦念ならばまだ穏やかですが、悪口を言うだけの場合、往生際が悪い。まだ自分の可能性や意地とか、認められたい、認められて良いはずだ、という思いが捨て切れていない。

なんと情けなく見ぐるしい愛すべき人間。人間臭い人ですよね。

 

でもそれはマズイ。自分の臭い部分にリンクする人間関係。

気づかせてくれた悪口と居眠りばかりの上司に感謝せねば。

次、次の目標に向けて動く。

何歳になっても私は自分の人生の中で格闘し挑戦と失敗、時々成功を繰り返しながらおばあちゃんになってやる。

 

この職場で得たこと、スキル、人間観察と自分の反応、業界事情は次の仕事でも活かせるから、まったくもって無駄というわけではない。

一緒にいると病みそうな後ろ向きな人とのかかわりは、できるだけ早めに経つ方が転職後のトラウマフラッシュバックが少ないし、自分も同じ病に罹患する可能性を最小限に防げる。

自分の心のドアを開けないようにしょう。病人は入れません。健康な人だけお招きします。

それは多くの健全な人が自然としていることなのだと思う。門前払いされた経験もした経験もどちらもあるし、ほかの方もそうだろう。合う、合わないという言葉だろうけれど。