依存と憎しみ
溺れていると常に自分がつかめるものを探す。毎回それは絶対沈まないと信じて、今度こそ沈まないものと信じて握り締めるが
たいていそれは容易に沈むものだったりする。
その「頼り」の重さに耐えられないのだ。永遠や絶対的な安全を求めるから、そんな対象はないのだ。他者に満たしてもらおうとすること。お金を払ってでも。
依存だ。カモだ。分かっているのにやめられない。深追いする。深追いだ。かけた分だけどうにか形にしようとする。形などないのに。
そしてよれよれになった姿を見て周囲は自己責任というのだろう。いや自分自身が一番自分を罵倒する。馬鹿なんじゃないの?
もう充分だろう。足を洗おう。追いかけるのはやめよう。周囲への過剰までの期待は
すべてを破壊する。満たしてくれなかったことだけが手元に残る。許せない。逆恨みだよね。
大事なもの分かってるのにやめられないのは病気だよね。この病気を治そうとまた誰かを頼る、お金を払って。バカの循環。
どうしたい?祈るとか引き寄せとか怪しいのはいらないんだ。ただいつももがいている。これはずっと続く。黄色信号。軽やかさが欲しい。でも軽いだけは嫌なのだ。
否定とつむじ曲がり。自分の態度が周囲に伝播し返ってくる。すべては自分が悪いのだ。これも傲慢なのか。自分さえ自分を殺せば世の中上手くいくのか?自己主張をせずに、他者利益のみ考え、尽くす。自己犠牲。そんなことをずっと続けるのかと思うと窒息しそうになる。
嫌だ、が沢山ある。拒絶。受け入れたくない。だから受け入れられない。でも嫌なのだ。混じりたくない混ざれない。息苦しくなるのだ。自己保存に不安を感じる。
ひとりでまた相撲を取る日々。そっとしておいて欲しい。ただそれだけ。波立てないで欲しい。それだけなのに。どうして揺さぶってくるの?私が揺さぶるから?静かに、ただ穏やかに生きて行きたい、それだけなのに。いつもザワついて叶わない。いつも「助けて」って心の中で叫んでる。